ボランティアに善意は必要か?
本日のごはん
今日は食事を作っていないので昨日の食事。
昨日は明太子のパスタ。パスタを茹でて、耐熱ボールに入った明太子とレモン汁
醤油と韓国海苔であえて食べる
最高の一品。
バターとかあったら最高だったんだろうな。。
「今回の記事は少し昔の記事です。」
奉仕活動に慈善の心は必要か?
8月中旬、西日本豪雨災害の被災地である愛媛県の宇和島に、ボランティア活動に行ってまいりました。
一泊二日と短い間でしたが、現地のみかん農家の方のお手伝い、ボランティアバスでいらっしゃった方々の誘導など、UEの方々と共にさせていただきました。非常に充実に溢れた二日でした。
UEとは↓
まず僕のボランティア活動参加のきっかけは、宇和島でボランティアに参加していた大学の知り合いに誘われたからでした。
お盆の最終日近く、特にすることも
無く、かつ人手が足りないということをFacebookを通して知ったので、行ってみようと考えました。
元々、ボランティア活動に興味は全くありませんでした。むしろ苦手意識しかありませんでした。知り合いである子を助けるような気持ちで行きました。彼女がいなかったら行ってません。感謝です。
そもそも災害なんて、知らない、見たくない。関係ない。人生の中で暗い気持ちになる瞬間を自ら作るのが信じられない。
もっと人生を楽しみで満たしたい、と考えていたので現地にいる人、参加されている人とも価値観なんて合わないだろう。と考えていました。
当日は夜行バスで現地に向かいましたが、心理的なハードルも高く、(現地に馴染めず仲間外れにされるなど妄想も膨らみました笑)
バス停留所で一人ブルーな気持ち。
それでも意地になって行くんだと心を強く保ちつつ、かつtwitterでいろんな人に応援されながら、出発しました。笑
交通の便も悪い。現地では電車で行動しようと考えていましたが、災害方面の電車は現在動いていない。
バスで行こうとしたら、大きな駅(宇和島駅)からでないと出ていない。
しかも本数は多くない。
「なんなんだここは、、、」と思いながら移動を繰り返し宇和島駅でバスを待っていました。
お昼頃に着いた宿舎は、まぁ想定通り。皆で共同生活する場所。
そこでUEの方の説明を受けました。
午後からは、実際に現地に出て活動しました。みかんの摘果作業です。
より美味しいみかんを作る為にいらないと判断したみかんをとってしまうんです。
大したことをするわけじゃない。
大きなことをするわけじゃない。
地味だし、別に楽しくもない。
でも宇和島の景色は綺麗だった。
トラックの後ろに乗るのは楽しかった。
色んな人が参加されていることを知れて安心した。別に慈善の心にあふれて、思いに突き動かされた人だけがボランティアをする権利があるわけじゃない。
色んな年代の人がたくさんの想いで活動されていました。
こんなに嫌々な人も僕以外にいないと思いますが笑
でも、僕は意外にも楽しかった。
誰かと話しながらしたことが、とかじゃなく、誰かに感謝されたことがとかじゃなく。費用対効果から解放されて、純粋に誰かのために活動したことは久しぶりでした。
大学3年までNPO法人で活動し、そこで出会った多くの心の綺麗で、純粋に人のことを思える人と比較して、そうなれないと思い、そういう心さえも苦手意識をもった時からしばらく、久しぶりにお金以外の為に時間を投資しました。
その時間の尊さと自分にも少しは出来たことに泣けてきました。
さてボランティア活動に参加して気づいたことはたくさんありますが。僕の中で特に響いたことは3つでした。
- ボランティア活動に必要なことは、時に労働力。
常に人は足りない。効率的に動ける仕組みもない。その日その日をどう切り抜けて行くか。の勝負の連続。毎夜明日どうするかを話していました。
そうやって地道で、地味なことを継続して復興がなっていくのだと知りました。
復興の過程なんて今まで見たことなくて。
それを肌で感じれた経験は凄く大きかったです。
でもだからこそ、こんな僕でも力になれることはありました。少しでも、労働力だけでも、投資できるものが時間だけだったと
しても、ほんの少し。
- 色んな人がいた。
国籍も違えば、性別も年代もバラバラで。
だるそうな人もいれば、怒ってる人もいれば。いかにも良い子そうな人もいれば。
異端児のようにのけものにされるかと思えったけど大丈夫でした。
当たり前ですが、皆違って。
当たり前だけど、それを自分で知れて良かった。
- ボランティア活動は繋ぐもの
大したこと本当にしないんですよね。
1日目なんてみかんを100個くらいもいだだけ。ちぎって落としただけです。
そう、ボランティアは所詮ボランティア。
毎日100個を積み重ねられない。
時期が時期なら誰もいなくなるかもしれない。ボランティアする人にも生活がある。
でもいないと困る。ボランティアって大したことしてない。
だから別に自分じゃなくても大丈夫のように謎のジレンマの感覚を持っていました。
でも、ボランティアは繋いで行くものだって知りました。今持っているリレーのバトンを次誰かに渡すのだと。
それで十分だと思えました。いつか復興した時、長いレースのゴールに関われたようで、少しは力になれたようで
とても嬉しい気持ちになれそうだ。と。
自己本位。自分の気持ちに素直にレポートを書いて見ました。
ここに農家さんの姿はないし、仲間との熱い言葉もない。
でもそれでも行動したっていいじゃないか。
一人の感動があっていいじゃないかって思うんです。
誰もが人に感謝されて喜ぶわけじゃない。
災害の状況を見て、心痛めるわけじゃない。
誰かの為になりたいと強く思うわけじゃない。
それでもいい。
だからこそ、より多くの人にボランティアに参加してもらえたら。
僕もバトンを次につなぎ、また自分自身でもバトンを持とうと思います。
今回は本当にお世話になったと心から言えます。
活動させていただいた、農家の方。
UEの方々に感謝です。ありがとうございました。